マイノリティであるということ
最寄りの駅に桜並木がある。今満開だ。 その並木に、なぜか一本だけ桜ではない木が混じっている。
たぶん楠かその仲間。桜より少し背が高く、青々とした葉がきれいだ。
しかし桜並木の中の楠は少し居心地がわるそうにみえる。
ここに居ていいのかな? 場違いなのでは。 なんでここにいるのかな? 何故自分には花が咲かないのかな。
勝手に楠の気持ちを代弁してしまうのは、自分も楠と同じ、ずっとマイノリティだったからだ。
側からみたらそうは見えなかったかもしれない。 けれどいつも集団の中で違和感を感じ続けていたという意味で間違いなくマイノリティだと思う。 そのことはマイナスでなく、今の仕事をする上でも確実に役だっている。 違和感を感じる自分は幸せではなかったが、その違和感のおかげで今は幸福になれたとも言える。
翻って桜並木をもう一度見てみる。 この駅ができた時、今後の景観を考えて線路沿いに桜を植えた人がいたはずだ。 そこにはおそらく最初から楠が生えていた。 切り倒すこともできた楠を、その人はなぜかそのまま生かし、桜を植えたのだろう。
何をその人が意図したのか、また意図しなかったのかはわからないけれど、その楠に励まされる人が少なくとも一人はいたということを、その人に伝えたい。
※今後このブログは少しずつnoteに移行する予定です。 いつも読んでくださっている方、ありがとうございます。
身体と心の有り様について
からだの有り様と、こころの有り様は似ている、とこの歳になって気づく。 私の場合は「把握があいまい」ということ。
仕事で特に問題となるのだが、あいまいに把握してわかったつもりでいる、もしくはそれで十分だと思っていると後から足をすくわれる。 それを懲りずに何度も繰り返している。意識すればできなくもないのだが、よほど意識しないとまた同じことになる。
そして実際に「ものをつかむ」という動作も苦手なようだ。 だからしょっちゅうものを落とす。こぼす。運が悪いとそのためにものを壊す。 相方からは病に近いとまで云われている。
それが自分。そう分かることが歳を取る良さなのかもしれない。
へんなところが似る
母方の祖母との年齢差は、58才。
だから私が祖母をはっきり認識したとき、祖母は60代だったはずだ。
もちろん記憶にある祖母はすでに老人だった。
特にそう感じていたのがまぶたのしわ。
水分のなくなったまぶたに上下に入ったしわだ。
笑ったり表情が動くたびに皮膚が引っ張られてしわが強調される。
見るたびに、ああーばあちゃん、年寄りなんだなーって思っていた。
そのまぶたのしわを去年あたりから発見するようになった。
そう、自分の顔に。
そもそもまぶたが広いことに起因していると思うが、乾燥しやすいようだ。
腎臓と繋がっていると聞くし、ホルモン減少の影響もあるだろう。
これ以上しわが深くならないように、美容液やオイルやクリームを意識してつけるようになった。
なくならないけど。
へんなところが似る。
それが血というものだなと、妙に感心している。
山の暮らし
山で一年暮らした。
一年だけだったけれど、挫折して山から降りたけれども、そこでの暮らしで得たものは大きかった。
それは自信だった。
会社を辞める前は、自分の仕事に意義が見出せず苦しかった。経験や知識もあったのに、それに価値を感じられず、無意味だと思ってしまっていた。
それが山で、したことのない、そして向いてない仕事(主に肉体労働)をすることで、また、自分の得意を生かして生活している人々(主に女性)を見ることで、自分を振り返ることができた。
山の女性は、お寿司を作ったり、もちをついたり、こんにゃくを作ったり、野菜や果物を作ったり、それを加工して漬物や果実酢やジャムを作って暮らしていた。
それらはどれもとても美味しかった。
好きなこと、向いたことをしているから、明るくて、楽しそうで、たくましかった。
つらいことがあっても、笑い飛ばす術を持っていた。
それを毎日見ていて、ああ自分もあの仕事が得意だったんだ、それって割と価値があったんだ、自分も得意を生かして働いていけばいいんだと、腹落ちしたのだった。
もっと頭のいい人は、シミュレーションで気づくのだろう。
でも体験型の私には、会社を辞め山に移住して生活してみないと気づけなかった。
よそ者の私を受け入れてくれた山の人々と、ついて来てくれた配偶者には感謝しかない。
山に行かなかったら私は、菌床しいたけと原木しいたけの違いもよく知らず、青梗菜やごぼうがあんなに美味しいものとも知らず、青白い顔をして、眉間に皺を寄せて、文句を言いながら、それでも会社にしがみついて働いていたことだろう。
だから今も時々、向いてない肉体労働をしに山へ行く。
元気な顔を見るために。食べものと、自分に向いた仕事があるありがたみを感じるために。
青春の瞬き
「嵐にしやがれ」の最終回を見た。
とても平和で、暖かく、笑顔あふれる、希望のあるエンディングとなり、さみしい一方、メンバー5人とはまたいつでも会えるような、そんな近しさを感じた。
折に触れ見る動画がある。
椎名林檎とのコラボレーションだったこの曲には、ドキュメンタリーとして成り立つほどの凄みを感じる。
曲の素晴らしさ、歌詞と彼らの状況のシンクロ具合も奇跡的で、オープニングの5人の陰影際立つ表情は、その前数ヶ月、もしかしたら数年にわたったであろう彼らの葛藤を余すことなく伝えている。
ファンではなく、TVでしか彼らを知らない私が、何度見ても泣いてしまう。
SMAPの解散は、その経緯は、やはりそれしかなかったのだと改めて思う。時代が彼らに恋をしていたから、彼らもSMAPと言うグループに恋をしていたから、それも一世一代の大恋愛だったから、笑ってさよならなんてできなかった、別れるときには血が流れた、そういうことだったのではないか。
嵐は時代の友達だった。
SMAPは時代の恋人だった。
そんな風に感じる。
友達なら、距離が離れてもまた会える。
恋人には、またねと言っても、もう会わないだろう、 遠くで幸せを祈ることはあっても。
若い人が恋愛をしなくなったというけれど、それはまた会うことのできる友情の価値に気づいたからなのかもしれない。
上でもなく下でもなく
お店で買い物をしたとき、
荷物を届けてもらったとき、
「落としましたよ!」と持ち物を拾ってもらったとき、
あなたは相手に何とお礼を言いますか。
「ありがとう」ですか?
「ありがとうございます」ですか?
ありがとう、だとなんとなく上からな感じがするし、
ありがとうございます、だと丁寧すぎるし、
と思ってる間に、言うタイミングを失ったりして。
「すいません」って言ってみたりして。
日本語は、相手との関係を上か下か確認しないと発話できない言葉だということは、既にいろんな方が研究している通りです。
それでも、
相手がどんな人であっても、
ありがとう、と
フラットな立場で
フラットな気持ちで
言ってその通り伝わらないものかと
日々考えています。
日々伝えています。
あなたとわたしは同じ人。
あなたとわたしは同じ人だから。
あの日の八代亜紀
大学3年の年末。仲の良い女子4人で、忘年会をした。場所はいつものように、ひとり暮らしの私の部屋。
大学はそれぞれ違うので、おしゃべりが止まらない。恋愛のこと、学校のこと、サークルのこと、そろそろ考えなくてはいけない就職活動のこと。
鍋を囲んで、夜が更ける。
そのときテレビから聴こえてきたのが「舟歌」だった。
演歌が好きなんていうメンバーはひとりもいないし、カラオケでも歌うことはない。
だけど急にしんとし、みんな口をつぐんでその声に聞き入っていた。
歌が終わると誰かが口を開いた。
「八代亜紀ってすごいね」
その時の写真を今見ると、大人になろうとしているけれどまだ子供っぽいだけの私たちが写っている。
子供にもわかる本物のすごさだった。