山の暮らし

山で一年暮らした。

一年だけだったけれど、挫折して山から降りたけれども、そこでの暮らしで得たものは大きかった。

それは自信だった。

会社を辞める前は、自分の仕事に意義が見出せず苦しかった。経験や知識もあったのに、それに価値を感じられず、無意味だと思ってしまっていた。

それが山で、したことのない、そして向いてない仕事(主に肉体労働)をすることで、また、自分の得意を生かして生活している人々(主に女性)を見ることで、自分を振り返ることができた。

山の女性は、お寿司を作ったり、もちをついたり、こんにゃくを作ったり、野菜や果物を作ったり、それを加工して漬物や果実酢やジャムを作って暮らしていた。

それらはどれもとても美味しかった。

好きなこと、向いたことをしているから、明るくて、楽しそうで、たくましかった。

つらいことがあっても、笑い飛ばす術を持っていた。

それを毎日見ていて、ああ自分もあの仕事が得意だったんだ、それって割と価値があったんだ、自分も得意を生かして働いていけばいいんだと、腹落ちしたのだった。

もっと頭のいい人は、シミュレーションで気づくのだろう。

でも体験型の私には、会社を辞め山に移住して生活してみないと気づけなかった。

よそ者の私を受け入れてくれた山の人々と、ついて来てくれた配偶者には感謝しかない。

山に行かなかったら私は、菌床しいたけと原木しいたけの違いもよく知らず、青梗菜やごぼうがあんなに美味しいものとも知らず、青白い顔をして、眉間に皺を寄せて、文句を言いながら、それでも会社にしがみついて働いていたことだろう。

だから今も時々、向いてない肉体労働をしに山へ行く。

元気な顔を見るために。食べものと、自分に向いた仕事があるありがたみを感じるために。