その人は閉店後に現われた

その人は、閉店後に現れたのだった。ホテルのロビーにあるフラワーショップに。

「ごめんなさいね、お店が終わったところなのに…

 あのね、主人のね、還暦のお祝いをね、来週このホテルですることになってね、

 お祝いで花をね、還暦の記念だから60本、渡したいんだけどね、何がいいかしらね…」

季節のお花ですと、菖蒲などはいかがでしょうか…

「そうね、菖蒲はいいわね…

 それをね、じゃあ60本、2Fのレストランに届けてもらえるかしら?

 それでね、どうしようかな、そのお花をね、

 お福分けというかたちで、来てくださった方に差し上げたいのね。

 そうねえ、3つくらいに分けて」

考え、考え、ゆっくり話す。とても優しく、柔らかく。

「ちょっとご面倒おかけするけど…

 一度お花を届けてもらって、

また、申し訳ないけど取りに来てもらって、

 それで3つに分けて、また、届けていただけるかしら…

 ごめんなさいね、いくらでもないお花なのにね…」

何万円もの花束を頼むお客が当たり前のホテルのフラワーショップで、1本100円の菖蒲の花は、たとえ60本買っても高い買い物とはいえない。しかも、届けたり、包みなおしたりする行為には 料金はつけられない。要するに手間だけがかかる仕事なのだ。

それでもなぜかその人が帰る頃には、その人の役に立ちたい、という気持ちが芽生えていたのだった。

今思えば彼女の頭の中では、最初からそのプランはできていたのだと思う。

それを、あくまでその場で我々と相談しながら決めたように振る舞ったのは、彼女のかしこさだろう。 反感をかわないように、面倒な客だと思われないように。 だから混んでいる時間を避け、わざわざ閉店後に来店したのだ。

そのお祝いの当日、その人はまた閉店後に現れたのだった。

「今日はね、いくらでもないお花をね、

わざわざ届けて、包みなおしてもらって…

 お手間をおかけして、ごめんなさいね。

 でも、おかげさまで主人もお客様も、

とても喜んでくれたの。

 本当にいい還暦のお祝いになったわ、

どうもありがとう」

帰り道、地下鉄の駅の近くでそのひとが歩いているのを見かけた。 少し疲れた足取りで、ほっとしたような面持ちで、 妻として、家を守る重責と満足感とかなしみを肩のあたりににじませて。

彼女は我々の店だけではなく、その日世話になったすべての部署に挨拶をして廻ったに違いない。

しばらく後に、その方がある高名な料理家の奥様だと知った。 夫のために季節の花を準備し、でもそれは最後にお客様に渡す。無駄のない生きたお金の遣い方。

聡明、とはああいう人のことを言うのだろう。 相手の心の動きに寄り添い、態度や言葉を慎重に選び真心で接して 周囲の人を味方にしていくのだ。