伯母のたんす

もう80歳を過ぎた伯母がいる。農家から農家に嫁いだ人だ。

その伯母が嫁入りの時に持っていった箪笥があるという。

ひとつはふとん箪笥。昔は一般的だったのだろうか、ふとんをしまうための箪笥。

もうひとつは、普通の箪笥だが、上の引き戸がガラスになっており、そのガラスから透けて見えるように、鶴亀の模様の布が貼ってあるそうだ。

私は見ていないのだが、伯母の家で実物を見た妹は「あんなきれいな箪笥は見たことがない」と言っていた。

その伯母の息子、つまり私の従兄が、趣味のギターを弾く小部屋にするために、納戸を整理し床を貼る工事をした。そのときに、その箪笥を見つけたらしい。

中には60年以上前の嫁入りの時からずっと入っていた、ふとんときものがあった。

箪笥はきれいだったけど、ふとんときものはもうぼろぼろだったので、従兄は要らないと思い、伯母に確認せず処分した。

そうしたら、伯母が怒った、怒った。従兄が、わしは夜中じゅうずうっと怒られたんじゃ、という。 きものもふとんも、まっさらのが入っとっただろう、と。

嫁入り道具、というものの意味を私は考えた。 昔は今のように女性が外で働くことは一般的でなく、特に農家では嫁が自由に使えるお金などなかっただろう。嫁ぎ先で自分のものと言えるのは、ほとんどその嫁入り道具だけだったのだと思う。 持ち物というより、自分の一部ですらあったのかもしれない。

伯母にとっては、納戸の奥にあったたんすと嫁入り道具は、嫌なことつらいことがあったとき「でもあそこにあれがある」と思い浮かべることのできる、大きな心の支えだったのではないだろうか。

伯母は20歳で嫁に行き、今年82歳になった。