アカシさん

またまた花屋のお話。

上得意のお客さんの中に、アカシさんという方がいた。

年の頃は60歳前後だったろうか。銀座のクラブのママさんだ。色白、細面のきりっとした美人。

髪をまとめて紬の着物を着たアカシさんが急ぎ足で来ると、店の中に緊張が走る。

手には流れるような達筆でお礼と送り先をしたためた葉書の束を持っている。店をざっと眺め「この人はこれ、この人はこっち」と次々に葉書を鉢植えの蘭に差し込んでいく。送り先はご自分の店に来られた一流の会社の紳士達。

我々は約定札を手にアカシさんの後を付いて回る。出物があると「後で送り先連絡するから、この鉢取っといて」とか「これは○○さんが□月□日誕生日だからその日に送って」とか細かい指示があったりする。

それがとにかく早い上、下手な質問などすると容赦なく怒られるので、新人の頃は恐怖の時間だった。

私はアカシさんは怖かったけど、嫌いではなかった。掛け払いにしている支払いが遅れたこともないし、品物を値切ることもないし、 身なりもけばけばしさがなく、とにかくきちんとしていた。

アカシさんの強い態度は、なめられないようにする、その一点から来るのだと一年、二年経つうちわかってきた。競争の激しい銀座に店を持ち続けるためには、顧客満足と信用が欠かせない。間違いのない商品を間違いなく届けさせる、そのためには多少怖がられるくらいが丁度いいと考えていたのだろう。

一度アカシさんの店をこっそり見に行ったことがある。銀座の外れ、大通りから少し入ったところにひっそりと店を構えていた。言われなければ見過ごしそうな小さな店だった。

年かさの同僚にそのことを話すと、「そりゃそうよ。一見の客がふらっと入りたくなるような店じゃ困るのよ。会社同士の秘密の話だってするんだからね」そういうものか。

こないだの東京出張の時、銀座に行くついでにアカシさんの店に行ってみた。 店は跡形もなく、アカシさんの気配もなかった。 戦い終わって、もう隠居されたのだろう。

水商売というけれど、水を売って成功するためには、努力と工夫と才覚が必要なのだ。