コミュニケーションということ
「人間同士、いつも伝わりあえたらいいと思うから、伝わらないことは怖い。
でも、言うことで間違いなく伝わっている。
怖がっているのは、その先のこと。
何事もおそれない大きな人間でいてほしい。」
コミュニケーションについて考えるときいつもこの言葉が浮かぶ。
もう会うことのない友達にもらった言葉だ。
ミチイさん
ミチイさんは花屋の上得意のお客様だった。
しかし一度も顔を見たことはない。店に来たことがないのだ。
ほとんど仕事で海外におられたから、電話やFAXで発注がくる。いつもとても忙しい様子だ。その隙間を縫って電話をしているのがうかがえる。
けれど声はいつも紳士だった。イライラしたり怒ったりしたことは一度もない。
送るのは、お祝い、お見舞い、季節のお花。親しい数名の方に送ることが多かった。
ある年の年末、いつものように数件のお宅にお正月の花のオーダーを受けた。
「本当にいつもありがとうございます」とお礼を伝えたら 「ニワタさん、いつも素敵なお花を送ってもらって、助かってるのはこちらのほうなんですよ」と言われた。
本当にうれしく、その言葉にしびれた。
年末、華やいだ雰囲気のロビーを歩くゲストを横目にみながら、手をカサカサにして働いていることが急に誇らしく思えるほど。
ミチイさんは、プロとしての仕事を自分もしているからこそ、我々の花屋としての技術に敬意をはらってくれていたのだろう。
ミチイさんの言葉が私の記憶に残っているように、私の花が贈られた方の記憶に残っていてくれたらうれしいと思う。
そして自分の明日からの仕事が、相手の心に残るように日々精進したい。
関西の顔、関西の声
以前に仕事で姫路に行った際、お昼を食べに駅の地下の寿司屋に入った。
そこの職人さんの顔に目が釘付けになってしまった。
決して関東にはいない、関西の顔。
吉本新喜劇に出てきそうな顔というのか…顔の造作すべてに丸み、まろやかさがある。ごちそうさまと言って店を出たとき、送り出してくれた黒縁めがねの奥のやさしい眼と笑顔が今でも忘れられない。70代くらいの方だったが、今でも元気に寿司を握っていてくださったらと願わずにはいられない。
関東から西の方に引っ越して6年が過ぎた。 ある時から気付いたが、関西ローカルのテレビやラジオに出てくるアナウンサーの声が関東のそれとは違う。
イントネーションではなく、声の質から違うのだ。
少しアクがあり、シャープで、金属音のニュアンスを感じる小気味よい声。先輩アナウンサーの声を聞くうち、似てくるのだろうか。
空気や水、食べもの、そこに住む人の気質などが影響して顔や声を作っていくのだろうけれど、 自分は今どんな顔をしているのだろう。どう見えているのだろう。
信頼関係
山でのんびり暮らす、という目論見が外れて私は、街の暮らしに戻ろうとしていた。
山で「のんびり暮らす」ことができると思っていること自体、都会人の勘違い、甘えだということが1年で骨身にしみていた。
山の人はみんな働き者で、のんびりなどしていない。
挫折感を胸に就職活動をした。 なんとか、自分のこれまでの職業経験を生かせる仕事に就きたかった。
なかなか見つからず、4か月ほどハローワーク通いを続けたころ、これかなと思うものがあった。 応募にはジョブカードという書類が必要だった。 書類を書き、予約を取って、キャリアコンサルティングという面談を受ける必要があった。
ハローワークに用意されている小部屋をノックする。 入るとそこには、顔じゅう笑顔、というか、全身で笑っているような初老の女性が座っていた。
自分をまるごと受け入れてくれている雰囲気がそこにはあった。 実際に、経歴をほめてくれ、自信を回復させてくれる。 応募する会社や事業について、有益な情報も教えてくれる。
一方で、厳しいことも言われた。 ジョブカードは徹底して数値化しろ。 退職の理由も、必ず聞かれるから説明できるように。
キャリアコンサルティングは一度で終わらず、提出まで時間もあまりない中、3回は書き直したと思う。 自宅で、免許センターの待合椅子で。 それまでキャリアの数値化なんて考えたこともなかったから、吐きそうになりながら書き直した。
結果、採用されることになった。ハローワークの窓口の人も「難関だったのに!」と喜んでくれた。 面接では、辞めた会社についてくまなく退職理由を聞かれたし、ジョブカードの完成度がなかったら、通らなかったと今でも思う。
あの時、不確かで小さな希望を胸に「とにかくこの人の言う通りやってみよう」と思ったのは、あの最初の雰囲気、 「自分をまるごと受け入れてくれている」という雰囲気があったからこそだと思う。
自分はあのような雰囲気を作れているだろうか。 同じ仕事をするようになって3年、ふり返らなくてはと切実に思っている。
配られたカード
予備校で隣の席にいたワタラセ君はとても頭がよかった。 頭がよすぎて、私のような凡人には何をどこまで考えているのかわからないフシがあった。 エントロピーについて説明してもらったがどの参考書よりもわかりやすかった。
洞察力があって思ったことを忌憚なくすぱっと口にするところもすごかった。 大学でなにしてんの?と聞かれて、んー今は本読んでると答えたら「ダメだよニワちゃーん、またそうやって図書館とかに逃げ込んじゃあ」と言われてどきっとした。新しい環境になじめないでいる私をすぐ見抜いていた。
「人間は配られたカードで勝負するのです。頑張りましょう。」 それぞれ進路が決まった3月にまわしたサイン帳にはそう書いてくれていた。 配られたカード以上のものを欲しがる私の貪欲さにもとうに気づいていたのだろう。
ワタラセ君は大手ではあるけど地味なメーカーに就職していった。 ああいう人が普通の会社にいることが世の中のおもしろさであり底力だと思う。 元気ですか、ワタラセ君。私は配られたカードでじたばたと、でも元気に楽しくやってるよ。
追悼 岡康道さん
広告界の巨匠、岡康道さんが亡くなった。
岡さんとは一面識もないけれど、その作るものに魅せられていた者として、書き残しておきたいと思うことがある。
岡さんの姿を、二度ほどおみかけしたことがある。表参道の駅から骨董通りにかけての場所だった。
スーツ姿で、上背のあるその体を傾げるような感じで歩いていた。
眉間にしわを寄せて、考え事をしながら歩いている様子に、成功者というぎらついた感じはなく、 どちらかと言えば、世の中に対して居心地のわるさみたいなものをずっと感じ続けている人なのではないかと思った。
大ヒットしたJR東日本の「その先の日本へ」のCMを思い出すと不思議なのだが、 それはもう大学生になってから見たキャンペーンのはずなのに、 実家にいたまだ小さい頃に見た映像のような気がしてならない。
岡さんが意図した「懐かしさ」という空気がそう感じさせるのだとしたら、その空気の力はすごい、と思う。
子供のころから変わらず持っている感受性がその空気にぎゅっと掴まれたからこそ、 そんな錯覚を起こすのではないかと感じる。
心をぎゅっと掴むこと、掴まれること。
それがなかったら長い人生を歩き続けることはできない。
心をぎゅっと掴む虹を何度も見せてくれた魔法使いのような岡さんに感謝。
○の内ビューティ会
これではあまり伏字になっていないけど、こんなふうな名前の会に仕事で参加することがあった。季節は初夏だったと思う。
商業ビルのなかの、美容関係の小売店だけが参加する意見交換・情報交換の会だ。
美容関係だから女性だらけ。
アドバイザーとして参加している関係者や美容ライターも女性ばかり。
会場で椅子に座りメモを取ったり発言したりと、一応そつなく参加しながら、私はぼんやりと「ビューティな人がひとりもいないな」と思っていた、自分も含めて。
そりゃ立場上みんな身ぎれいにしているし、肌も髪も爪も手入れしてる。いいジャケットを着ているし、靴も磨いてあって、非の打ちどころはない。
でもなんとなくぎすぎすして、不機嫌そうで、お金のことが頭を離れず、笑顔もなく、全然ビューティって感じじゃない。魅力的じゃない。
この会に、意味はあるのかな?他の人は知らないけど自分にとって。
仕事を辞めたいと思っていた私のシーソーに、もうひとつ重りが載せられたできごとだった。